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編集長からの「送る言葉」
編集長へ
楽しかったです。
みんないい子でよかったです。
本当にありがとうございました。
正直、次の媒体は心配と不安でいっぱいですが、私もそろそろ編集長クラスの仕事ができるよう、修行と思って頑張ってみようかと思います。
編集長といつかまた面白いことやりたいですね。
遊びには誘ってください。
待ってます。

>編集長からの返信

 本当にお疲れ様でした。
 君のおかげで楽しい半年でした。
 いい媒体ができたのも本心から君が頑張ってくれたからだと思っています。
 明日から君がいないのは淋しいですが、また一緒に仕事できる事を楽しみにしています。
 たまに飲みに行きましょう!
 仕事の愚痴は聞きます。
 ありがとう!

涙が出そうなほど、うれしかったので、心に刻んでおきたくて
そのまま書かせていただきました。
明日からがんばるぞ!
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by y.asd_xxx | 2004-11-30 23:54 | 感動・うれしい!
かつての上司に近況報告
昨日、かつての上司と飲んだ。
4ヶ月ぶりくらいだろうか。
休刊のことも、リストラのこともメールで話していたので、
その後、転職先が決まったこと、次はどんな媒体をやるかというようなことを報告した。
「相変わらず君は大変そうなところに行くね。君の性分なんだろうね」
と笑って言われた。何ひとつ否定できない。

私がいたころに比べ、会社の雰囲気も、社員のモチベーションも変わってしまったと、
上司は話す。
「人はいるんだけど、任せられる人がいないんだよ。
 みんなこなし系に走ってしまって。
 企画やりたい!ってみんな言うんだけど、できないんだよ。
 ヒント与えてもそこから考えようとしないし、全部答えを求めようとするし、
 それで何も教わってないって言い出すんだよ」
そんな愚痴をこぼす。

企画なんて、「やりたい!」「チャンスがほしい!」なんて言ってやるもんじゃなく、
普段している仕事に没頭しているうちに、
「あれ?こんなこと必要じゃない」「こうしたらもっとよくなるんじゃない」なんて
浮かんでくるものじゃないかと思う。
それこそ電車の中とか、他の資料見てるときとか、風呂入ってるときとか、テレビ見てるときとか、「あ」ってひらめいたりするものだと思う。
そういう意味では、私の下の子たちや私が辞めた後に入ってきた子たちはまだまだ子供だな、甘いなと思わざるを得ない。

上司は、他もにもこんなことも話していた。

「現国(=現代国語)さえできれば、いいよ。それすらできない子が多すぎる」

「気づきがそもそもないんだよ。気づきがある子は伸びるんだけどね」

自分がそれができていると言い切れるほどの自信はないけど、
上司がそんなことを言うってことは、少なくとも私はできていると思っていただいているのだろう。

かつて、上司とメンバー(つまり部下)の教育について、
大きな声で議論(傍から見たらただのけんか)をしたことがある。
でも、彼は人を見る目は確かだし、その人なりの伸ばし方を知っている。
そして、今の私がある。

彼は疲れて、ぐったりしていた。
「君がいなくなってから、『作ることが楽しい』、『こんなことやりたいよね』って話せる人が
 今の職場にはいないんだ。つらいよ。
 君はいいよね。次の職場で、そういうことを言える友達がいるじゃないか」

大きな背中は丸まり、苦しそうに顔をゆがめる彼に、私はかける言葉もなかった。
いつか、彼ともう一度一緒に仕事がしたい。
そして、一緒に成長できるような仕事をいつかできればなと思った。
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by y.asd_xxx | 2004-11-29 04:43 | 愚痴・憂さ晴らし
仕事人間の不安
つくづく私は仕事がないと、どうしていいかわからない仕事人間だなと思った。
休刊が決まり、最後のオフィス配送の手配をしたり、
10月末に締め切ったアンケートの分析をしたり、
休刊の挨拶状を作ったり、
最後の広告を作ったり、
社内の引越しもあった関係で身の周りの整理をしたり、
せいぜい最初の1週間はやることがあった。
でも、あっという間に終わり、朝9時半過ぎから夕方5時半まで何もすることがない。
雑誌読んだり、ひたすらネットサーフィン。
長い。暇疲れするのだ。
仕事が終わって帰っても、急に机周りの掃除を夜中に始めてみたり、
写真の整理なんかしてみたり、映画をたくさん借りて観たり、
どうでもいいような時間をやり過ごしている。

幸い、すぐに友人から仕事を手伝って欲しいという話があり、面接なんかもあった。
だから、のんびりというよりむしろバタバタはしていたのだが、
じっとしているといてもたってもいられないというのが正直なところだろう。
トントン拍子で次の仕事は決まり、
次の仕事が決まるか、生活できるかという不安から、
次の職場で期待lこ応えられるだけのことができるだろうか、
友人や職場の仲間とうまくやれるだろうかという不安に変わり、胃が痛くなる。
とりあえず契約は決まったが、給料が決まらない。
媒体は創刊号の途中から参加する。
いつまで続くだろうか。
休刊があったばかりだけに嫌でも最悪のケースを考えてしまう。
暇な時間は、自然と次の媒体の業界調査に費やされた。
調べれば調べるだけ、机上の空論は広がり、不安が募る。
私に何ができる?どこまでできる?
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by y.asd_xxx | 2004-11-29 03:53 | ふと思うこと
我慢
編集長がポツリという。

「なんかさぁ、計算してたら、今回、黒字になりそうなんだよね。
 くやしいことに。
 もうちょっと会社も我慢してくれればよかったのに。
 休刊で、キャンセルとか、金払わないとか言うクライアントがいるから、
 結果的には赤字になるだろうけど、
 せっかくここまで育ててきたのに・・・・・ねぇ」

言葉がなく、ただうなづくしかできなかった。
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by y.asd_xxx | 2004-11-23 04:34 | ふと思うこと
評価
もう、編集長から仕事の依頼もほとんどない。
友人の紹介で面接に行ったと報告もしている。
決まったら、今月いっぱいという話も。

もう、編集長から教えてもらうことも、頼られることもない。

でも、今日飲みに行った席で、彼は私にこう言ってくれた。

「今までで一番、やりやすかったよ。

 それに楽しかった。
 君は愚痴こぼしても引きずらないから。
 君の愚痴は、どんなに聞いても苦痛じゃないよ、本当に」

最高の褒め言葉だった。
リストラを負い目に感じて、少々オーバーに言ってくれているのだと思うけど、
それでもうれしかった。
本当にうれしかった。
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by y.asd_xxx | 2004-11-20 04:09 | 感動・うれしい!
旅立ち
今日、短期で入った男の子が契約最終日で去っていった。
編プロで3年働き、他の媒体もやりたいと派遣でコネを広げようとしている子だった。
若いから大丈夫。がんばれ!と送り出した。

一緒に仕事したのはわずか3週間だった。
でも、彼は「楽しかった」と言ってくれた。とてもうれしかった。

彼は、休刊宣告されるミーティングで、私のとなりに座っていた。
「あのときの顔忘れられませんよ」
彼は、咄嗟に私の顔を見たらしい。そんなことは気づきもせず、さぞや恐ろしい顔をしていたことだろう。
休刊になることを自分だけじゃなく、みんな今ここで初めて知ったんだということに、
彼は自分はいいほうだ、と思ったのかもしれない。
ずっと携わってきて、思い入れがある人たちに比べれば、自分はまだましだと。

自分の今後も心配だったが、同じ「休刊」「リストラ」という数奇な運命となった彼も心配だったので、仕事探しのアドバイスなどできることはしてあげた。

編集長に、「彼ちゃんと自分から動いて面接に行ったらしいですよ」と報告すると、
編集長も安堵の表情を見せていた。

やりたいことが別にあるから旅立つのとは違い、
ここではもうすることがないから旅立たざるを得ないというのは、
旅立つ方も、送り出す方もいたたまれない気持ちになる。
でも、いい媒体に出会い、成長してくれることを願うよ。
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by y.asd_xxx | 2004-11-19 23:53 | 感動・うれしい!
サプライズの誕生日パーティー
アシスタントの子が企画した「鍋パーティー」だと思っていた。
編集長のマンションに7人押しかけて、2つの鍋囲んで騒ぐのだと、疑わなかった。
だから、せっせと働いて、鍋のセッティングをしていた。

そしたらいきなり、ケーキが出てきた。
「happy birthday to you!」

私の誕生日を祝ってくれたのだ。30歳になるこの私を。
なんだ、リストラされるなんて落ち込んでる場合じゃないじゃん。
こんないい人たちの囲まれて、私幸せじゃない、と
この上ない幸せを噛み締めていた。

マンションの表札には、
私が来たときには「鍋パーティー」と書かれていたのに、
いつの間にか「誕生日パーティー」に摩り代えられ、
写真なんか撮ったり、編集長がカクテル作ってくれたり、
Web担当の子がエレクトーン弾いてくれたり、
飲んで、騒いで、酔っ払った。

この時間が長く続けばいいのに……
このメンバーでもっと一緒にいいもの創りたかったのに……
と思いながら、時が過ぎるのが、眠ってしまうのがものすごくもったいない気がした。

でも、素敵な時間だった。みんな笑顔だった。それがうれしくてたまらなかった。
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by y.asd_xxx | 2004-11-13 12:00 | 感動・うれしい!
429
今の仕事が決まる前、まだ就職活動中からブログを書き始めて半年になる。
立ち上げ当初は、毎日と言っていいほど、ブログを書き、
時には明け方5時近くまで書いていることさえあった。

会社の理不尽さに、組織と打ち解けてきたことに、
年下のメンバーや外部スタッフの教育に、日々一喜一憂し、
興奮しながら書き綴ってきた。

どれだけの人が訪問してくれただろうか?
どんな人がコメントくれただろうか?
それを支えに、現実の世界とブログの世界で自分を振り返ってきた。

今週、日曜日、はじめて182人の訪問者があった。
なかなか更新していなかっただけに、どこかで取り上げられたのだろうか?と
自分の目を疑った。
そして、そんな快挙の後、「休刊、リストラ」という内容のブログを書くことになることを
残念に思った。

強がってきたり、自分は間違っていないと思いながら日々つづってきたが、
どうしようもなく不安で、やり場がなく、みんなに「エールをください」と書いたところ、
いろんなコメントをいただき、本当に励まされた。
顔の知らない、どこでこのブログを知ったのかもわからない人たちが、
自分をみてくれている、励ましてくれることに、心から感謝したい。

自分はライターではないし、ボキャブラリーも少ないし、
性格と同じでクドクドした文章だなと、いつも思う。
でも、
コメントいただいた方からは「私のような若輩者がコメントするのは恐縮ですが・・」
などと前置きをしている。全く、こっちのほうが恐縮してしまう。
そんなに偉そうなこと書いていただろうか?
私自身、知らず知らずのうちに、偉ぶっているのかもしれない、と
ちょっぴり反省するところだ。

いつか、カテゴリーを修正したことがあった。
自分の書いてきた日記は、愚痴ばかりになっていないか、
前向きに自分と向き合っているだろうか?
もっと、うれしかったこと、楽しかったことを書かなければ自分自身腐っちゃう。
そんなことを考えた。

今、私のブログは111件目の投稿を書いている。
昨日は、これまた驚きなのだが、429人の訪問者があった。
前日、ブログを更新したわけでもないので、更新リストからみんなの目に止まったとも
考えにくい。先週は21人なのに、全くの謎だ。

でも、不安定な状況だから、うれしさもひとしおである。
改めて御礼を言いたい。ありがとう。

まだまだ、がんばります。
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by y.asd_xxx | 2004-11-12 01:41 | とにかく走ってます!
リストラ勧告を受けての小さな抵抗
「この度の本誌休刊にあたり、時期的なことを考えても、
 次の仕事への不安が募ります。

 また、本来なら派遣先責任者である事業部長と、
 派遣元の担当者であるTさんで交渉するはずが、
 事前に事業部長直々に面談し、解雇宣告を受けたことについて、
 派遣先から非常に圧力的な対応をされたと受け取っております。

 すでに次号のスケジュールを作成していたほか、
 次号以降への展開を予測して動いていたにもかかわらず
 あまりに急な休刊について、他の派遣社員をはじめ、
 私自身かなり憤りを感じております。

 事業部長と直接お話して確認したところ、
 休刊が決定したのが11月2日で、
 発表した4日は最短であるとはうかがいましたが、
 校了日前日の突然の発表によって、
 モチベーションが一気に下がったことは否めません。
 もう少し、事前にわからなかったものかと残念に思います。

 事業部長とのお話で、直接申し上げましたが、
 この半年間の中で、
 ・アシスタント(堀さん、武田さん、杉村さん、渋江君)の教育
 ・社内営業・進行管理への教育
 ・DTP会社の教育
 ・取材発注先の開拓~教育
 ・代理店回り、代理店・クライアント向け資料作成
 ・クレーム・トラブル処理
 ・原稿用紙作成
 ・掲載規定作成
 ・自社広告作成
 ・オフィス配送リストの入力~集計
 ・アンケートの入力~分析
 ・通常の入稿、校正、リライト等々
 契約以上の働きはしてきたつもりです。

 ちなみに、6月の労働時間は318.5時間、時給換算すると784円です。

 これも本誌が続くこと、エリアを拡大すること、読者もクライアントも増えることを
 期待だけでなく、信じていたからここまで貢献してきたのに非常に残念です。

 その功績や、苦労に対し、『ビジネスだから』と一言で片付けられ、
 1ヵ月後に終了というのは、
 会社の見通しの悪さを批判せざるを得ません。

 1ヵ月間は雇用が確保されるだけでも喜ばなくてはならないのかもしれませんが、
 御社からも、今後、派遣先としてお考えなら、
 一度、派遣先に派遣スタッフの思いと伝えていただきたくお願いします。

 何卒、よろしくお願い申し上げます」

事業部長との交渉は、坦々と進められた。
あまりにあっさりと、事務的に、形式的に話された。
私で5人目ということもあり、同じことを何度もくりかえし言ってきたのだろう。
自分が意見を言えば言うほど、無力に思えてきて、より一層むなしくなるばかりだった。
机をひっくり返してやろうとかと思ったけど、それよりも何よりも早くその場から
立ち去りたかった。

「残り少ない時間ですが、プロとして精一杯お願いします」
彼が最後に言った言葉だった。
「もう校了しましたから、私のスキルや経験が活かされる仕事はもうありませんけどね」
そう、私は言い放って、立ち去った。

もし、私が彼の立場なら、
「最後まで、がんばってください。
 それがうちの会社があなたに一番望むことですし、
 あなた自身がこの作品にどこまで貢献したかの証ですから。
 次を一緒に作れなくなってしまったのは、本当に悔しいですが、
 最後までいい仕事をしてください。期待しています」
こんな風に言っただろうか?つらいことを言わなければならない立場なのはわかるが、
彼は会社のことしか口にせず、携わってきた人のことなど、
考えていないように思え、笑えてくるほど腹が立った。

席に戻って、そっとPCを立ち上げ、派遣会社の営業宛に上記のメールを書いた。

夕方、営業が会社に飛んできた。
「すいません。すいません。こんなことになるとは・・・僕も初めてです。
 本当にすみません」
何度も何度も頭を下げて謝っていた。自分のせいじゃ、これっぽちもないのに、
彼はひたすら謝っていた。
そして、自分が全営業にお願いして、最優先で仕事を探してくれると約束してくれた。

本がなくなること、組織がなくなること、人が解雇されること、
それがこんなにあっけなく行われるものかを知った。
でも、派遣元の営業をみたら、不安が少しふっとんだ。
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by y.asd_xxx | 2004-11-12 01:19 | 闘ってます
リストラが始まりました。私にエールをください。
今日からリストラが始まった。
次々に事業部長と面談し、4人の退職日が決定した。

ブック立ち上げ当初からいた営業の女性も、社員以上に、誰よりも売り上げに貢献していたのに、あっけなく来月初旬までと決まった。
アシスタントの話によると、トイレで泣いていたという。
もう一人の営業の女性は、今月末。
進行管理も今月末か、来月初旬で決まったらしい。

つまり、面談とは名ばかりで1ヶ月以内に退職宣告を受けるだけということか。

だから、私を採用し、評価してきた上司を同席させないというわけですか?
圧力的な行為に、腹が立つ。
こんなひどい扱いを受けるとは微塵も思わなかった。

事業部長本人が、現実からかけ離れた目標を設定して、
取締役クラスを説得するために、発行周期を早めたり、エリア拡大していくことを推し進めていたくせに。

版が増えた時のことを想定して、
アシスタントを必死で教えたり、進行管理を教育したり、
代理店を回ったり、代理店やクライアントを説得するための資料を作ったり、
DTP会社を教育したり、新規の取材先を開拓して教育管理したり、
掲載規定作ったり、未知のジャンルの規定を調べたり、
みんなの愚痴聞いたり、
それが、すべて泡のごとく消えてしまう。

上司は、精算する際に、つけこまれないようにと、
制作会社にはしばらくは休刊になったことを黙っていると言う。
つまり、一緒にがんばってきた人たちに挨拶もできずに私は去るしかないのだ。

明日、私が退職勧告を受ける番。

週末ネットで仕事を探してみたが、予想どおり仕事はなかった。

行き場のない憤りをどうすればいいのか、事業部長にぶつけようかとも思った。
しかし、事業部長だけが痛手を負わないわけがない。
部署が解体し、精算処理がすんだら、彼は居場所があるかさえわからない。
でも、冷静に考えてみれば、彼はもともと国立出身の元コンサルというエリートだから、他でも引く手数多だろう。
彼には媒体は向いていなかったというだけで、傷がつくわけじゃないのかも、と思えてくる。
彼は媒体がなくなっても、残念とか、悔しいとか、寂しいとか思っているのだろうか?
今、取り急ぎ解雇するのは私を入れて6人。
どんなに媒体に貢献したとした人材であっても、そんなことは関係ない。
彼は年内には部を精算したいのだ。
心が痛むなどあるのだろうか?

就職情報誌を作っていた以前の会社の社長からこんな話を聞いたことがある。
「私の知り合いの人事は、大量にリストラしなければならなかった。
 彼にはボディーガードをついていた。
 なぜなら、リストラされた人からの逆恨みで、その人事は殺されかけていたからだと言う。
 我々は人の人生を左右してしまう人事の苦悩や痛みを理解して
 この仕事に携わらなければいけないんだ」

しかし、明日、まさに私をリストラしようとする事業部長は、人事ではない。
痛みなど持たない人なのだ。

媒体がなくなるのは、事業部長だけのせいではない。
そんなことは重々承知していた。
会社の財務体制から、いつまでも累積し続ける赤字に耐え切れないと判断されたこと。
媒体が競合他社に比べ、コスト高で、時間もかかる半径をしていたこと。
後発であったにもかかわらず、営業がノウハウを持っていなかったこと。
競合他社と差別化するために、編集サイドがクオリティにこだわりすぎたこと。
指揮命令者である事業部長があまりに媒体づくりに無知だったこと。
媒体に社名が付いていることや社長案件であることに過信し過ぎたこと。
派遣の私でさえ、いくつも要因が思い浮かぶ。
私は、たまたまどうすることもできない悪循環の中に居合わせてしまったに過ぎないのだ。

媒体は減っているけど、たくさんある。自分はどこでも生きていけると思った方がよさそうだ。

ビール片手にブログを書いていると、今の状況が他人のことのように冷静に見えてくる。
ちょっと助かった気がする。
そういえば、私の人生、こんなこと続きだった。大したことじゃない。
ってゆうかなんとかするしかない。
よしっ。 寝よう。

でも、もしもこのブログを読まれた方でこんな私にエールをいただけるのなら、
心よりお待ちしております。どうかパワーをください。
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by y.asd_xxx | 2004-11-09 03:30 | 闘ってます